大阪・奈良の建築設計事務所 基本フォルムのデザインする注文住宅 鶯台の家:北側斜面地の家,設計手記。

 
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鴬台の家 設計手記―デザインのその奥に見るもの(2006年)

北側斜面のひな壇をポジティブに使いこなした鶯台の家。設計者による手記。
 

↑敷地断面モデル。田の字の鉄骨フレームが南からの日光を受け止めるように斜面上に浮かぶ。

〈序〉
兵庫県川西市は神戸や大阪の都心部に通勤の便が良く、1960年代には典型的な郊外型住宅地として市中北部の山間部における宅地開発が盛んになった。バブル崩壊後、ある程度の歯止めがかかったと思われたが、その勢いは再び盛り返し、現在宅地の間に残されていた斜面地の雑木林にも開発の波が押し寄せている。

2年前、施主と共に土地探しから始まったこのプロジェクトの第一条件としての予算は、当初予定していた北摂の平野部から、いつの間にかこういったまだ比較的土地価格の安い郊外へと我々を移動させた。




敷地に最初に訪れたのは3月の初めであった。北向きの急斜面はやや強引とも思えるひな壇に造成され、道路面から立ち上がる擁壁は建物にして2層分の高さにもそびえていた。春はまだ遠く、寒風吹きすさぶ中、その姿にやや圧倒されつつもどこか凛としたたたずまいに惹かれるものがあった。

擁壁の階段を上がると大変見晴らしが良いことに気づく。視野も広く、遠くに連なる山の尾根が美しい。木々はまだ芽吹く時期ではなかったが、やがて緑の豊かなパノラマが楽しめるだろう。
その景色の反対側には敷地の南側に向かってせり上がるように地山の一部が残っており、平坦部をつくるためにそれを押さえる擁壁が敷地を横切っていた。予算と建物規模の関係から、どこになろうとある程度単純な形の住宅にしようと思っていた。しかし独特の特性を持つこの敷地なら、建物の形は単純でも地形と絡めることで、多様な表情を持つ空間づくりが可能だと思った。

 

更地で売りだされていた敷地。
敷地内を横切る滑り台のような擁壁。


周囲はここ数年で建てられた住宅が多い。地元の不動産業者が言うには、更地で残されたのは、平坦な部分だけでは10坪ほどしか建築面積が得られず、また道路面からは5mも上がる為、レッカーや足場などの費用がかさむという事で収益性の悪さを嫌い、今のところ残っているのだそうだ。事実、建売住宅のプロジェクトが一度は動きかけていたという。

通常の流れではそうなのだろう。でも造成によりインフラがしっかり整備されている分、付帯工事は安く済みそうだ。コスト配分次第で何とかなるだろう。そしてなにより北向きの順光線で得られるここの眺望は、今まで見てきた中ではどこよりも強い魅力がある。

いくらかの経緯の末、施主と設計者の一行はここを建築の地と定めた。




宅地造成は郊外のベットタウンではもはや人々の原風景である。極端とも言える造成もいまのところだれも拒むことの出来ない現実である。けれど、そこからは却って、生きることに対する活力や執念さえも感じることがある。悪く言えばなりふり構っていない。その傾向は勾配やレベル差が急になればなるほど強くなってくる。それはそれで現象として面白いと思う。しかし、そのつくられ方は一方的過ぎる。つくる側、売る側の論理しか感じられない。そんな郊外の造成というドライな手続きと取られがちな出来事でも建築家として「面白い場所」に変えて行くことが可能ならば、なし崩し的に行われる造成行為のパラダイムも、本来、双方向性を含む必要があることを社会的なメッセージとして表現できるかもしれない。このことで人工的な造成地にも人の感性をくすぐる新しい原風景を作り出していきたいと思った。幼い子供たちはそこで心を育んでいくだろう。

 

 

計画に際し、平坦な部分に対して擁壁の位置と壁面後退から間口と奥行きが求められ、これを基準にしてほぼ正方形の基壇を求める。手順として、この正方形から立ち上がる基本ボリュームに必要諸室を盛り込む作業をくり返す。ただし、コスト条件だけで建築の持ちうる可能性を阻まれないようにすることが重要である。いくつもの変転があったものの、次に述べるような手法に行き着いた。

〈外部空間〉




・時に、子供の頃、橋の下や土手が面白かったりした経験はないだろうか。その空間は普通、意図した結果生まれた訳ではないが、それを見るものが無意識の選択の上、面白いと感じ、遊びに取り入れる。土木構築物の不思議な頼もしさ(図1・2)。その感覚を素直に取り入れたい。一方、建物は先に述べたコスト上の理由から矩形は崩さない。

 

図1 高架橋の下


図2 水のない水路





・建築と地形、隣家とのすき間に生まれる副産物としての空間は(図3・4)、お金をかけた外構計画をせずとも上手くやれば人のスケール感覚を刺激し、期待感にも似た豊かさを持つことが出来ることを教えてくれる。

使うに差し支えのない程度に空間を残し、人の歩く小道とする。あるいはぎりぎりにまで狭めてみるなどの操作を行ってみる。ルールとして基礎以外は接触させない。建物と擁壁はきわどくすれ違うが、その営みの結果がポーチや庭のボリュームを形づくる。構造的には基礎の荷重を受けるのは平坦部の土で、擁壁はその土圧のみを負担し躯体には接触しない。その間の取り方は集落空間の発生と潜在意識が似ているのだろう。せめぎあいの緊張感と共に不思議な親近感が生まれていく(図5〜7)。

 



図3 微細な地形の変化でも無意識に影響を与える。


図4 残されたブロック塀

図5 擁壁と建物の隙間をアプローチに


図6 建物と擁壁のせめぎ合う緊張感



図7 擁壁と建物基礎は接触せず、わずかな通路を残す。

 

 

・ボリュームの生成
どの場合でも、敷地と建物は独立したプロセスを持つ環境を構成するエレメントだが最終的に一つの場所をつくり出す。それは庭石を配置することと同じでエレメント同士の響き合わせ方が重要だ。その意識があるかないかはほとんど建築家のセンスや組織の倫理観の問題とされている。

ひとえに擁壁とは、斜面に建物や車の為の平らな部分をつくる営みである。平面の重層性において建築と基本的な手法は共通する。斜面が急になるほど擁壁面が大きくなり、建築らしさが出てくる。また、ウワモノであるローコストハウスの脆弱さを擁壁と連続感をもたせることで全体としては強さと弱さを補い、この擁壁の、建築としては重量感の強すぎる印象を中和している(図8)。つまり、山の斜面を建築化することにおいては共通する過程の中でこの環境がつくられた結果、必然的に周辺と同調する形態が生まれ、なおかつそれは意図された場所の織り込みが完了した造成地環境へと変化する(図9)。

 

 


図8 建物と擁壁の中和作用



図9 場の折り込み済み造成地環境 (斜線部)

 

・奥行きの感覚
表現の行為としてはあまり表には出てこないこの手法においてはどこまでが意図しているのか確認の手立てがない。素人目には分からない。あるいはどこかが一つのヒントとなりメッセージを読み解く者がいるかもしれない。記号化されていないサイン。それが数値化出来ない空間の奥行きにつながっていることは間違いない。建築家としても奥ゆかしい(それが良いことかどうか・・・)。
しかし、そうやって生まれる奥行きは、少なくとも人の本能を惹きつけるのではないかと思っている。前述の子供時代の体験のように、そこには不思議な空気が漂っているのだ。

 

 


〈内部空間〉 
・夫婦の寝室、風呂やトイレは1階。キッチンはその直上の2階にまとめる。住機能としては最低限これで用が足りるはずだ。最初、建坪が9坪の総2階建てで、増沢洵の自邸「最小限住居」を参照したプランを提案したが、クライアントはその狭さを気に入らず却下した。(図10)

・コスト配分から基礎面積を増やす訳にはいかず(図11)、空中へ向けて新たなボリュームの追加を検討する(図12)。従って、内部空間の要望がここで外部空間の調整とリンクする。増加分はとりあえず用途の限定されていないボイドである。最終的に2つのキューブが敷地の斜面なりにずれて重なり合った空間配置とした。その部分は内装もしない。外壁の断熱パネルが露出している。性能上は問題なく、そのままでもそれなりにかっこいい。比較的つくり込まれた下のキューブに対して、同じボリュームでも魂が抜け出して漂うかのような空間が上にある格好だ。まるで最小限住居のゴーストである。見方によればそのぬけがらを背負っている(図13)。

・竣工して気付いたのは、機能的空間以上にこの"ゴースト"が重要な「気配」を生んでいることだ。そして最小限住居を出発点としながらもまったく趣の異なった計画となっていることにも気づく。空間を占有する満足感、眺望を生む立体的で特権的な位置の確保。どうやらこれらは本能的な欲望のようである。最初敷地に足を踏み込んだときに我々が感じた衝動を増幅している。"ゴースト"部分がそれを生み出し、支えている。光や外気といった環境をからめとりながら機能的空間に付随している。それは坪単価では説明の出来ない豊かさの獲得といえるだろう(図14)。

 



 

図10 9坪の2階建て


図11 フットプリントを増やすわけにもいかない



図12 空中へボリュームを増やす可能性はある




図13 キューブをずらす案は単純だがいい



図14 ゴーストの効果






・ボリュームプランが決定したのち、構造をS造とし、軸組みは平面プラン作成上汎用性の高い田の字型の構成とした。そのグリッドの中でいくつかのスタディーの末、必要諸室の配置を決定した(図15)。
ただし、つけられた室名は極めて暫定的なものであって、あくまで仮設性を失わない。
上のキューブについては床やバルコニーによる空間の置き方が計画の主眼であった。3階の床は2階の天井を兼ね、杉の足場板を目透かし状に張るが、これも容易に変更が可能である。ただし隣り合う空間どうしは相乗効果を生むように配慮した。
キャンティレバー部分の片方に子供室を上下に配置。一方を光庭の用を兼ねた二層吹抜けのバルコニーとした。

バルコニーから南側の庭へはゲートを開けて飛び降りることが可能な高さとなっている。これにより、地形と内部空間は意外な回遊性を確保した(図16)。

 

図15 田の字でプランを探す

図16 2階バルコニーから南側斜面へは近く、非接触ながら敷地全体に回遊性を担保する。


・基本的にワンルームであるが視線や気積の調整はカーテンやカーペット又はDIYで行う。2階から見た3階は大きな天井裏とも言える。雨天時の物干し場に使われることもある。

・上層階に対して下層階は比較的重さを感じる素材の使い方をしている。カラーリングもそれに対応した。

・内側から外を見たときに、立体的に連続する庭や公園とも捉えることのできる内部空間は、そもそも擁壁から生え出したようなこのボリュームとの連続感が敷地を越え、目の前に広がる風景とつながっていく感覚をつくりだす。やがて取り巻く環境全てが意識の中で庭(非接触、非所有物の私物化)となる。そのとき建物は郊外という大海原に浮かぶ船のように、空間の位置を示す手立て(座標軸、アンカーポイント)となる。あるいは新たな生態環境をつくり出す海中の魚礁のように、「ことの起こり」としての役割を果たす。


 


〈表現について〉
2つのキューブという象徴的な内部空間を抱えつつも、そのダイアグラムを表現したファサードにはしなかった。それを表現することはある種のユーモアになるのかなと感じた。施主の家を建てることに対する思いは一途であって、建築家としてわき目も振らず「そこ」にたどり着けるように集中した。そのときの表現はローコストの粗末さでもなく、マーケティングに左右されるものでもなく、例えば増沢洵の自邸に対して内田祥哉の言った「気品の高い庶民性」のように内側から生まれてくるものであれば良いなと思った。

外壁の断熱パネルは外部の色彩を反映する。晴れていれば空の青を示し、朝日を浴びて輝く。600ミリのパネルモジュールに原則として従い、高効率に完成されたモノが建ち上がった。一方、敷地の擁壁と同化するかのようなボリュームは、曇天にはふとすると敷地全体で厳格な岩のようにも見え、中途半端な手作り感よりはこれがむしろ自然を感じさせる。
 


〈終わりに ― 設計外伝〉
零戦。正式には三菱零式艦上戦闘機(ちなみにゼロ戦とは戦後用いられた言い方で大戦中はもっぱらレイセンと呼ばれていた)。
限られた資源と資金のなかから最大の効果を得るために考えつくされた機体。戦争の是非はともかく、資金の厳しいこの住宅を設計するうちに強い共感を覚えていた。厳しい選択の中から何を得るかを葛藤することについては開発コンセプトが似ている。興味の赴くまま図面の載っている本を買い、まるで自分が開発者の堀越二郎技師にでもなった気分で眺めた。そぎ落とされつつもつくり込まれた翼や機器。そして飛行機にとってはその運命を左右する外部形状と空気の関係。エンジンや兵器のスペックバランスなどの二次的なものの試作とフィードバックの繰り返し。その設計の切実さに強く気持ちを打たれた。個人の表現を越えて中からにじみ出てくるかっこよさが生まれていると思う。建築もそのぐらい切実な要請の元にエレメントの関係性を問い、設計する必要があるのではないか。そのとき価値観はリセットされ、始めのスタートラインにもう一度並べることができるのだろう。設計中幾度と眺め、考えのポジションを確認した。
竣工の後、戯れにつくった零戦のプラモデルが縮尺1/100であることに気づき、同じスケールのこの住宅模型に乗せてみると全長がほぼ同じ。図面で確かめてみると前者が9.04m、後者が9.3mで25cm程しか違わない。偶然である。とはいえ、違うルートで同じ戦線にたどり着いた旧知の友を見るような、物言わぬその姿から励ましを貰ったような、なんともいえない感慨がよぎった。




図17 建物の断面に同スケールでゼロ戦の図面をはめ込み合成してみた。びっくりするぐらいぴったり。ただそれだけのことではあるが・・・。

そぎ落として、そぎ落として、そぎ落として、最低限必要な空間性能だけが残り、そこに人が棲みかをつくる。youtubeでゼロ戦エースパイロットの坂井三郎氏の映像を見ていたら、ゼロ戦に乗っている時はあたかもプロペラの先が自分の鼻先で翼の先端は両手の指先のように、機体と身体感覚が同化して、大空を自由に舞えたという。パイロットと住み手は目的は違えども、精密に設計された環境体(=建築内部+建築外部表面+ロケーション)はどこか共通する感覚を持つのではないだろうか。3センチでも違えば、全く違った作用をもたらす、そういう設計に私は興奮を覚える。  (記:高橋)


     
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